平均という指標の裏側にあるもの

どうも、赤原です。

ちょっと今日は、ぼくの思想を話していこうと思います。

ブログやホームページの記事を書くとき、どうしても、多くの発信者の人は聞こえがいいことばかり書いたりします。
そっちの方が、好感度が上がるからです。

でも、正直、好感度がいくらあっても、ぼくからしたら、ワクワクしないんです。
そもそも、ぼくは、将来のぼくの「事業仲間」が欲しいので、行動できる「戦士」を育てたいんですよね。

ということで、ちょっとぼくのエゴを出しながら、思想を語っていこうかなと思います。

平均って、そもそも大事なの?

 

学生時代って、平均点ってあるじゃないですか。

平均点が〇点ですー!とか、偏差値50いった、行かなかった、とか。

ぼくも受験戦争に巻き込まれて、ずっと戦って来てたので、そういった数字に一喜一憂してました。

 

でも、今思うと、踊らされてたなーと思うのです。

特に、収入については顕著ですよね。平均年収〇円と発表されていますが、実際には、上にも下にもかなりのバラツキがある状態での平均ですよね。

じゃあ、この平均にいってるから、裕福とかそもそも、そんな思考でいいの?と思うわけです。

 

もっというと、病気や離婚などの万が一が、トータルすると100%を超えてくる現在、圧倒的にお金を持っていない限り、その万が一に自分の人生振り回されてしまうわけですね。

それを考えると、なんのための平均を出してるんだろう、、、と、ぼくは思うのです。

幸せなのか、劣等感の払拭なのか

そもそも、ぼくらの幸せの定義を大事にした上で、どこをゴールにすべきかが大事だと思うんです。

先ほど書いたとおり、

・ガンの発症率:国民2人に1人

・離婚率:2組みに1組み

他の3大疾病なども入れたら、、「人生の万が一」って、100%を超えてくるわけですね。

そうなると、お金がないことで失う幸せも、たくさんあるわけです。

 

それを考えると、なんのための「平均」だろう、それをわざわざ発表する裏側の意図は?とおも思ったりするわけですね。

『長時間労働しているけど、あー、よかった平均超えてて。自分より大変な人が、半数以上なんだ』という“思い込み”への導線とも取れます。

「平均」のトリック

でも、そもそも、年収2000万の人が1人いて、年収200万の人が5人いるとしましょう。

平均年収は、500万ですが、実際にはどーだろう、、ってことなんです。

もちろん、実際には、ここまで露骨ではないですけどね。

 

でも、平均って、実際には、なんの「モノサシ」にもならないし、もちろん「幸せの指標」にもなりません。

だから、あなたの人生の設計は、あなたの中で判断し、作り上げることが大事なんですね。

 

どうしても日本人の特性で、調和を求めるところがあります。

・過ぎたるは及ばざるが如し

・出る杭は打たれる

・郷に入っては郷に従え

など、まさにそうですよね。

だから、「平均」もそうだし「みんなと同じ」って、すごく力のある言葉に感じられがちです。

 

でも、特に「生きるために必要な資金」とまで考えると、それでOKなのかな、とも思うのです。

幸せを得るため、脱「平均」のすすめ

だから、ぼくは、平均を敢えて無視するようにしています。

「みんなと同じ」が全てでもないし、「みんなと同じ」で満足すると、進化がないからです。

 

そもそも、スポーツでもそうですよね。

結果を出せる人たちは、平均なんて考えたことないはずです。

プロ野球目指す人でも、野球をしている人口の、平均打率が何%で、自分はいま、偏差値50超えているから、、、とか考えないですよね。

仮にそう考える人がいたとしても、まず突破できないし、長い間、生き残れるかというと、そうじゃないですよね。

 

自分にとって適切な指標を得るために

ちなみに、平均も使い方次第ですよね。

例えば、先ほどの例でも、野球をしている人全体の平均だったから、意味がないわけです。

これ、気づきました?

例えば、それがプロ野球選手で、ホームランバッターとしての殿堂入りしている人の平均だったら、かなり参考になりますし、いろんなコツが見えてくるかもしれませんよね。

 

だから、「結局、自分がどこを向くか」なんですよ。

平均収入も、例えば、ガンを発症して、借金もする事なく、生活も壊す事なく、難なく乗り越えられた人の平均収入を見たら、いろんなリスクヘッジの指標と考えることもできるかもしれません。

言い方を悪いですが、自分より下であろう人を見て、自分の劣等感から逃げても意味がないんですよね。

結局、自分がどこで満足できるか、否か、じゃないですか。

 

サラリーマンがほとんどの日本で、好きなことを強みにして起業する人は、まだまだ少数です。その中で、「みんなと同じだと」だと限界があるわけですね。

もちろんぼく自身も、「みんなと同じ」に満足していたら、ここまで生活を変えることはできていないと思うんです。

 

まとめ。

だから、大事なのは、結局「目的」です。

「何のためにそれをするのか」ということを、「なんのために生きるのか」ということを、考え続けた量なんですね。

 

 

スポーツでもなんでも、日本人はルールの中でどうやったら強くなれるか考えます。

でも、海外の人は、どうやって自分たちに都合のいいルールを作れるか、を考えます。

この違いは、まさに生き方でも同じことが言えます。

 

多くの人は、「サラリーマンという生き方の定番の中で、どうやったら幸せになれるか」を考えます。

でも、事業は「自分にとって最大限都合がいい生き方を、どうやったら作れるか」を考えるものなんですね。

 

だからこそ、身の回りに溢れる「平均」に目を奪われる事なく、事業家として結果を出していない人の「平均」に目を奪われる事なく、自分で基準を作って欲しいなと思います。

 

もし、周りに、あなたの「基準」になりそうな人がいなかったら、ぜひ、ぼくを基準にしてください。

メール講座の中で、自分の現状報告をしたりしているんですが、本を大量に読んだりするもの、そのうちの一つなんですね。

「サラリーマンの平均読書数は、月間で3冊以下」ここを普通と思っていいのか、悪いのか、なんですよ。

ぼくの場合は、ひとつの講座を作るのに、100冊とか平気で読んで、自分の中でもトライ&エラーをしたりするのが普通なんです。

 

じゃあ、あなたの未来を考えると、どこを基準にしたらいいのか、なんですね。

ぜひ、いろんな切磋琢磨できる関係性が作れたら嬉しいです^^

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