どうも、赤原です。
今回は、欲求に素直になる事の大事さについて書いていきます。
現在、多くの人が「節約・倹約」をしていると思うんですよね。
そして、お金をパーッと使う人を見たら、あの人のお金は汚いと言ったり、成金と呼んだり、お金の亡者と言ったり、貧乏でも幸せがあると言ったり、我慢しないと成長しないと言ったりします。
何を隠そう、ぼくがそうやって育てられました。笑
でもですね、それ「だけ」に目を奪われたらもったいないんです。
その理由と、ぼくが今大事にしていることについて書いていきます。
人生に置いて、欲求に素直になる時間を持とう
どの宗教の経典を見ても、「欲望」を抑えることについて書いてあります。
もちろん、日本でも仏教でもそうだし、侍の武士道とかでもそうですよね。
「清貧持って貴しとなす」
「武士は食わねど高楊枝」そんな言葉があるくらいです。
もちろん、それも大事です。でも、それ「だけ」でいいのかと言うと、違うんですよね。
特に、「好きなことで起業」していく未来を考えると特に、欲に向き合わない行為は自分の未来を狭めるものだと思っています。
だから、程度こそあれど、欲求に向き合い、素直に欲求を満たしまくるのも大事だと思うんですね。
欲求を我慢するデメリット
そもそも、禁欲の定義について考えて見ましょう。
禁欲というのは、そもそも何のために行うのかと言うと、自分と向き合い、悟りを開いたりするためですよね。
そこには「新たなものを得るため」と言う、「会得したいもの」があるから、あえて自分に負荷をかけていくわけです。
これは、もちろん現代にも意味があるし、正しいと思います。そうじゃなかったら、時代の移り変わりの中で淘汰されているはずだし、ぼく自身も、いろんな本の中で触れて、すごく多くの事を学びました。
ただし、「会得したいものが“ない”」禁欲は、どうか。。と考えて見てください。
そもそも、いろんな我慢をしたら、、人生の中で継続して我慢したら。。。いろんな夢や希望、やりたい事もある意味「情報」なので、その情報から隔離された人生になってしまうリスクが、際限なく高まってきます。
わかりやすく言うと、電波も水道もガスも届かない原生林の中に住んでいる人は、ディズニーランドという「情報」に触れられない可能性がありますよね。
と言うことは、その人の人生では、USJもディズニーランドも「存在していない」事と同義なのです。
つまり、21世紀にいきているのに、縄文時代の生活になっている可能性だってありうるわけですね。
これは極端な例ですが、欲求を我慢するって、つまりそういう事なわけです。
チャンスの女神との出会いかた
ぼくらって、産まれた家や、才能など、いろんな「不平等」なものが数多くあります。
ぼくもいろんな悔しい思いをしたし、いろんな不条理な経験をしました。
でも、今の自分になる事ができました。
この変化のキッカケを、たまにチャンスの女神という人がいます。
でも、このチャンスの女神は、少数の人にしか出会えないかというと、そんな事なくて、みんな出会えるわけですね。
じゃあ、どうやって出会えるかというと、それが、学ぶ事なのです。
ほんの数年前まで、インターネットもなかったし、いろんな情報に触れる事すら今ほどまで簡単じゃあない時代でした。Amazonkindle使えば、同時に10冊近くの本を読み放題のサービスもあるわけで、ちょっと前とは、学ぶ難易度が恐ろしく低い時代なわけです。
だから、学んだ人は、等しく結果を狙えるチャンスがある。
ここについては、全員「漏れなく平等」なわけですね。
つまり、チャンスの女神は「全員出会える」わけで、それを活かせるか活かせないか。
起業して、結果を出せるか否かの差は、ここだったりします。
起業して結果を出せる人、出せない人
では、どんな人が結果を出せて、どんな人が出せないかというと、それが、欲求の種類を数多く知っているか否かだとぼくは思っています。
それが、爆発力の差になるわけですね。
欲望数多く知り、数多く満たし、満たした時の満足感を知る事で、それがパワーに変わる。ぼくは経験上そう思うのです。
これは、旅行とかまさにそうですよね。
知識として知っている人と、実際に行ったことがある人だと、語れるものが違うのと同じです。
そして、知識として知っているけど我慢している人、もしくは我慢して知ることを遠ざけた人だと、悲惨な未来すらあるわけです。
例えば、異性との交際を断りまくって結婚した人が、ある程度の時間やお金を手に入れたら、、もしくは、仕事に没頭していて、ストレスが溜まったら、、途中で「自分の“タガ”」が外れて、暴走したりするのは、珍しくない話です。
実際、そんな人たちは、ぼくも公務員時代の仕事で何人も見ましたし、事業をしてくる中でも見てきました。
ここで言えるのは、「我慢」なのか「禁欲」なのかの違いなんですよね。
先ほど書いたとおり、禁欲は「会得したいもの」からするものです。ある意味、悟りやスキルなどの「自分を高めるため」にするものです。
でも、「我慢」は、周りからの見た目上、ほんとはしたいことがあるけど、それを遠ざけるためにしたり、誰かの好感度などを失わないために、するものなんですね。
だから、前者にはストレスがなく、後者にはストレスがあるわけです。どっちが崩れるかというと、後者ですよね。
さらに、前者は一時的なものだから、未来も狭まらないですが、後者は、基本的に無期限です。つまり、未来も狭まるわけですね。
まとめ。理想を叶える順序
結局、自分の理想は、一気に叶うものではないんですよね。
設計図があり順番があり、1つ1つクリアしていくわけです。
これってパズルと同じで、1つ1つのピースがハマっていきますよね。事業も同じです。一気に全部がうまくいく保証なんてどこにもないし、一気に全部がハマることなんて、ほとんどあり得ません。
ぼくも同じで、最初は、SNSで自分の事業を起こして、そこから、全国回っていろんな人たちと出会って、その先にJリーグのクラウドファンディングの話をもらったりしてきました。
だから、今があります。
今でこそ、学生の人たちと会って、どんどん話したりしていますが、そんなぼくが、お金が全くなくてカツカツで、、、そんな状況だったら、仮に近いことをしていたとしても、伝わるメッセージが変わるし、がめつくなることだってあるかもしれないわけですね。
結局、幸せはシャンパンタワーと同じで、自分の器を満たして、零れ落ちるものが、周りに伝わっていくからです。
貧困で今にも倒れそうな人が、「世界平和を目指しているんです」と言ってたら「まず、飯食えよ」って言いますよね。それと同じです。
だから、あなたはまず、自分の欲求に素直になって欲しいのです。
そして、欲を満たしながら、数多くの満足感を経験し、さらにその先にある世界も垣間見ながら「幅広い知識」を身につけて欲しいのです。
目的のある行動なら、やりたいようにやり、好きなことをしていいと思うんですよね。
その方が、頭の中にある「情報」が増えるので、当然ながら事業展開の幅広さは格段に広がりますよね。
とにかく、目的が大事です。
事業展開の幅広さを広げるためにも、欲求に素直になるのか、目先のお金に追われて我慢して、事業展開の幅広さを捨てるのか。全く違うじゃないですか。
ぼくがメール講座をしているのは、事業展開の幅広さを身につけてもらうためなんですね。
ただし、仮にその弱点として上げるとしたら、それは、ぼくが経験していないこと、ぼくが発信していないことについては、伝えられないということです。
また、「赤原のフィルター」がかかるので、ぼくの理解に基づいた話になります。
もちろん、正しく伝えていきますし、そのためにもひと月で100冊以上の本をぼくも読んでいますが、ぜひそれと同じように、ぼくからのメール講座と、あなた自信の欲を満たすことの「両輪」でこれからの時間を過ごしてもらえたらなと思います。
ということで、今回のまとめですが、
自己成長のための禁欲は大事。でも、余計な「我慢」は、未来を狭めるものだから、禁物。
ここですね。
ぜひ、大事にしてもらえたらなと思います。
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